1948年5月10日、南朝鮮単独政府樹立のための選挙が実施され、済州島の2選挙区で投票率50%に満たず無効となり、米軍政は警察、国防警備隊、右翼の増援部隊を投入し「焦土化作戦」と呼ばれる殺りくを実行した。
虐殺とタブー視、それは「遠い過去」なのか ――韓国・済州島の記憶 | Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)
台風が過ぎ去ったばかりの済州国際空港には、湿った海風が絶えず吹きつけ、時折霧のような小雨が視界を覆った。ここに降り立つ前、飛行機の窓から見下ろした済州は、濃い緑に覆われた漢拏山(ハルラ山)を中心に...
3万人が虐殺された「4.3事件」から75年 「悲劇繰り返さないで」と遺族は願う:東京新聞デジタル
【済州島(チェジュド)=上野実輝彦】住民の1割にあたる3万人が軍などに虐殺されたとされる韓国・済州島の「4.3事件」から75年の3日、...
済州島四・三事件 - 岩波書店
歴史と記憶の抹殺,そして再生への道程
現場で学ぶ「済州島」 | ヒューライツ大阪(一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター)
アジア・太平洋地域における人権の確立・伸長に貢献する団体
1948年の済州島事件とは?