キリスト教の安息日とは

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安息日とは

ヘブライ語聖書の「出エジブト記」でモーセが山に登って神からおきて一式を言い渡されたとき、そのおきての中に6日働いたら7日目は安息日なので仕事をするなという内容のものがありました。
安息日に仕事をした場合は死刑にすると神が言っていました。

「創世記」のはじめでは神が6日間で世界を創って7日目は休んだと書かれています。

「出エジプト記」でイスラエル民族がエジプトを出て荒野を進んでいた時に神が食料を降らせてくれましたが、6日目は2日分の食料を降らせてくれるので、7日目は食料を拾わずに前日に拾っておいたものを食べろと神が言いつけていました。

安息日について書かれている聖書の箇所

例として聖書の以下のような箇所で安息日について書かれています。

出エジプト記 20章8節-11節

 安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
新共同訳聖書 出エジプト記 20章8節-11節

※モーセたちイスラエル民族がエジプトを出発して荒野を進んでいる最中、モーセがシナイ山に登って神から告げられた、十戒などと言われている内容の一つ。

出エジプト記 23章10節-11節

 あなたは六年の間、自分の土地に種を蒔き、産物を取り入れなさい。しかし、七年目には、それを休ませて、休閑地としなければならない。あなたの民の乏しい者が食べ、残りを野の獣に食べさせるがよい。ぶどう畑、オリーブ畑の場合も同じようにしなければならない。
新共同訳聖書 出エジプト記 23章10節-11節

※モーセに十戒が告げられたとき、それに続いてさらに長々とした規則が神から告げられ、その内容を2枚の板に神が自分で書いてモーセに渡した。これはその内容の一つ。安息日という言葉は出てこないが、安息日と関連するものと思われる安息年に関する説明の部分。

出エジプト記 23章12節

 あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである。
新共同訳聖書 出エジプト記 23章12節

※モーセに十戒が告げられたとき、それに続いてさらに長々とした規則が神から告げられ、その内容を2枚の板に神が自分で書いてモーセに渡した。これはその内容の一つ。安息日という言葉は出てこないが安息日のことを言っている。

出エジプト記 31章13節-17節

 あなたは、イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。
 あなたたちは、わたしの安息日を守らねばならない。それは、代々にわたってわたしとあなたたちとの間のしるしであり、わたしがあなたたちを聖別する主であることを知るためのものである。安息日を守りなさい。それは、あなたたちにとって聖なる日である。それを汚す者は必ず死刑に処せられる。だれでもこの日に仕事をする者は、民の中から断たれる。六日の間は仕事をすることができるが、七日目は、主の聖なる、最も厳かな安息日である。だれでも安息日に仕事をする者は必ず死刑に処せられる。イスラエルの人々は安息日を守り、それを代々にわたって永遠の契約としなさい。これは、永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。主は六日の間に天地を創造し、七日目に御業をやめて憩われたからである。
新共同訳聖書 出エジプト記 31章13節-17節

※モーセに十戒が告げられたとき、それに続いてさらに長々とした規則が神から告げられ、その内容を2枚の板に神が自分で書いてモーセに渡した。これはその内容の最後に書かれている部分。

出エジプト記以外にもヘブライ語聖書(旧約聖書)と新約聖書で何十カ所か100カ所以上か分かりませんがかなり出てきます。

安息日の意味

安息日の詳しい意味はよく分かりません。私は調べている最中です。
普通に考えれば、休みなしで働けば過労で体を壊して死んでしまうので、7日間のうち1日くらいは仕事を休んだ方が良いのは常識で分かります。生産力が高くなった現代では原則としては週休二日が当たり前になっています。
家畜も働かせ続けると体を壊してしまい倫理的にも問題であり、家畜に働いてもらうにしても動物福祉の観点を重視して健康で楽しく暮らせる条件を満たした上で働いてもらうべきで、少なくとも7日に1日くらい休みを作った方が良いに決まっています。
聖書が書かれた時代のような奴隷制社会なら、当時は人権の考えもない時代ですが奴隷たちが健康に生きていけるように7日に1日くらい休みを設けた方が良いのは常識でも分かります。

常識的な面では安息日の規則はあまり疑問のない内容ですが、守らなければ死刑にする、これは永遠の契約である、などと書かれていてかなり重視されているところから考えると、この文書を書いた人間たちとしてはさらに詳しい意味を込めていると思われます。
そこを知るには少し難しい本を読まなければなりません。

とりあえず安息日はそのようなものです。

現代の労働者が安息日の規則を単純に言われたとしたら

「7日目は安息日だから働くな、働いたら貴様らを死刑にする」と神が言っているのを聞いたら、現代社会で金も時間もなく長時間過密労働をせざるを得ない状況に陥って死にかけながら働いている労働者や個人事業主や、デリバリー業界や宅配業界などで会社の指示の下で事実上の雇用に近いような状況にもかかわらず雇用契約を結ばずに働いているグレーな不安定な労働をせざるを得ない人々はどのように思うでしょうか。

労働運動に取り組んで何とか人間らしい労働環境と暮らしを手に入れようと努力しつつも過労死寸前の状況におかれている労働者たちはおそらく次のように言うでしょう。

「働きたくて日曜日まで働いているわけではない、仕事を放棄して納期が間に合わなくなれば会社から処分を食らったり取引先から仕事を切られたりして食い扶持を失うことになる、食い扶持を失って死ぬわけにいかないから労使交渉で改善を求めつつも現状は仕方なく休日もなしで働いているのだ、平日働いて休日は休むという人間らしい働き方が可能な状況ならとっくの昔にやっておる。
死にかけている労働者の立場も知らずに、安息日に働いたら貴様らを死刑に処すなどとふざけたことを抜かすな。今日も日曜日だが納期が間に合わないから俺は業務をせざるを得なかった。死刑だというなら仕方がない、殺しに来るがいい。神、貴様に何が分かるのだ。」

キリスト教の信仰は金も時間も余裕のある人間が悟りすまして何か祈って歌って満足したり、牧師や神学者が知力を誇って思い上がって説教を垂れて自己満足していれば済むようなものではありません。
信仰は今目の前にある現実の問題と、報道を通じて知っている日本や世界各地の諸問題にどう対処するかということと直接関係しているものです。
神の律法を完成させるために来たと言っていたナザレ村出身の大工のイエスは、人が安息日のためにあるのではなく安息日が人のためにあるのだ、と言っていました。本末転倒の愚かな思考に陥るなということです。

神の律法を完成させるために来たと言っていたナザレ村出身の大工のイエス

神の律法を完成させるために来たと言っていたナザレ村出身の大工のイエス

キリスト教
筆者
わたし

差別や暴力が渦巻き、弱い者や不器用な者や真面目にやろうとする者を嘲り笑い、利他的な行動を偽善呼ばわりし、「老害」「シルバー民主主義」などの悪意の言葉が流行し虚構の世代間対立を煽る言説を信じてしまう人は多い一方で、実在する階級対立を認識できている人は少数しかいない今の日本社会と、差別や憎悪犯罪の温床と化したインターネットの世界に恐れを抱き、今日も怯えながら暮らしています・・・

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