キリスト教会に行く方法 -初めてでも気軽に行くために-

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キリスト教会へ行ってみたいと思っても、教会の建物は気軽には入りにくいです。
初めてキリスト教会に行ってみたいとき、できるだけ気軽に行ける方法を考えてみましょう。

※プロテスタント教会の場合で説明します。

  1. 初めてキリスト教会へ行く場合は日曜日の礼拝が行きやすい
    1. 教会は日曜日以外も何かしらの活動をしている
    2. 何もない日は鍵が閉まっていることもある
    3. 礼拝であれ、その他の会であれ、自由に参加してくださいと書いてある場合が多い
    4. 初めて行く人は日曜日の礼拝に参加してみるのがおすすめ
      1. 日曜日に休めない人は他の曜日に行きたいと問い合わせてみる
  2. キリスト教会の礼拝には気軽に行っていい
    1. 信徒になる気はないが試しにちょっと行ってみたいという人も歓迎される
    2. 無理やり信者にさせられたりしないので心配はいらない
    3. 一度行ってみてそれっきりでも問題ないので気軽に行ける
  3. 1.色々ある教派のうち、どの教派のキリスト教会へ行くか決める
    1. プロテスタントのキリスト教は非常に多くの教派がある
    2. 普通のプロテスタントの教会か、キリスト教ではない教会か、判断しにくい
      1. キリスト教はさらに多くの種類がある
    3. 信頼できる人物が所属している教派の教会に行くのがおすすめ
    4. キリスト教原理主義の教会には注意が必要
      1. その教派についてネットで調べるとなんとなく分かる
        1. SNSでは調べない
  4. 2.インターネットで近くのキリスト教会を調べる
  5. 3.メールでキリスト教会へ問い合わせる
    1. いきなりキリスト教会へ行くのはハードルが高い
    2. 事前にメールで問い合わせておけば行きやすい
      1. ほとんどのキリスト教会の日曜日礼拝は年中無休
      2. 多くの場合、礼拝は日曜日の午前中
    3. キリスト教会の、障がいのある人への対応
    4. 子どもを連れて行く場合
  6. 4.日曜日の礼拝に行く
    1. 礼拝に行くときの持ち物
      1. 聖書や讃美歌は教会で借りられるが、点字聖書や電子書籍聖書は用意されていない教会は多い
    2. 礼拝に行く時の服装
  7. 5.日曜日の礼拝に行き、帰るまでの流れ
    1. 受付をする
      1. 初めて来た人専用の受付票のようなものがあるかもしれない
        1. 礼拝で自分を紹介されたくないとき
      2. パンを食べてぶどうジュースを飲む儀式について確認しておく
    2. 席に座る
    3. 礼拝が始まる
      1. 聖書のページや讃美歌のページは「週報」に書いてある場合が多い
      2. 祈る
        1. 「主の祈り」という祈りについて
        2. 祈りの締めの言葉
      3. 使徒信条を読み上げる
      4. 献金のコーナーがある
        1. 献金はするかしないかは自由
      5. パンを食べてぶどうジュースを飲む「聖餐式」という儀式をする場合がある
      6. 教会の事務連絡のコーナー
        1. 紹介されたくないとき
      7. 牧師が大きな声で締めの言葉のような文句を言う
      8. 最後のピアノかオルガン演奏
      9. 様々な会合などがある時もある
    4. 帰る時
  8. キリスト教会に行く前の予備知識
    1. 牧師がいない場合もある
    2. キリスト教会に落胆せずまた行く気になるような予備知識

初めてキリスト教会へ行く場合は日曜日の礼拝が行きやすい

教会は日曜日以外も何かしらの活動をしている

プロテスタントのキリスト教会などは、1週間を通じて何かしらの動きをしています。
日曜日は礼拝をしています。その他の曜日も聖書と祈りの会的なものを開催していたり、その他の会を行ったりしています。
学童保育のようなものを行っている教会もあります。
何か活動がある時間帯は教会に人が来ています。

必ず日曜日が出勤の業種の仕事していて日曜日の礼拝に出られない人なら、日曜日以外の曜日の祈りの会などにだけ参加しているようなケースもあります。

何もない日は鍵が閉まっていることもある

特に何もない日もあり、そのような日は教会の建物は鍵が閉められていて、近くの牧師館の中で牧師が仕事をしているかもしれません。
牧師も会議などで外出していて教会にも牧師館にも誰もいない場合もあります。

礼拝であれ、その他の会であれ、自由に参加してくださいと書いてある場合が多い

多くの場合教会の建物の前に案内看板があり、何曜日にどのような集まりが行われているかが書いてあり、どなたもご自由にお越しください、というようなことが書いてあります。

ただし、日曜日の礼拝はほぼ必ず毎週行われますが、その他の様々な会のようなものは毎週開催していると看板に書いてあるものの実際は不定期にしか開催されていないということも多いです。

初めて行く人は日曜日の礼拝に参加してみるのがおすすめ

初めてキリスト教会へ行ってみたい場合は日曜日の礼拝に参加するのが一般的です。
キリスト教会側でも初めて来る人は日曜日の礼拝に来ることが多いので対応し慣れています。

そのため初めてキリスト教会に行ってみる人は日曜日の礼拝に参加するとスムーズにことが進みます

日曜日に休めない人は他の曜日に行きたいと問い合わせてみる

仕事の事情などで日曜日に休めない人は、以下にしめす手順でキリスト教会に問い合わせるときに「日曜日は休むことができないため、他の曜日に教会に行ってみたいのですが」と伝えてみます。
そうすれば、では●曜日の●時からの「聖書と祈りの会」に参加できますか、などと何か返答が来るでしょう。

キリスト教会の礼拝には気軽に行っていい

信徒になる気はないが試しにちょっと行ってみたいという人も歓迎される

真っ当なキリスト教会の日曜日の礼拝は気軽に行けます。
仏教であれイスラム教であれキリスト教であれ、信徒としてはブッダが悟った智慧や神が人間に伝えた内容をできるだけ多くの人に伝えたいと思っています。ですので、例えばキリスト教会の場合ならキリスト教徒になろうとまでは考えていないが多少関心があるのでちょっと礼拝に参加してみたいという人がいれば歓迎されます。
イスラム教の場合なら、NHKの「こころの時代〜宗教・人生〜」“ムスリムとして日本に生きる 私にとっての「ジハード」”でマスジド大塚の人がモスクはイスラム教徒以外の人も気軽に来てくれて良い場所ですというようなことを言っていました。

無理やり信者にさせられたりしないので心配はいらない

私はプロテスタントのキリスト教会の場合しか知りませんが、礼拝に初めて来てみた人を無理やり信者にさせようとしたりはしません。

宗教観は個人が自由に持つものであり、強制されるような類のものではありません。その人が信徒になろうと思って自主的に判断して洗礼を受けるものです。(宗教的には、自分が自主的に受洗したというより神に招かれたということだろう、と考える人はいるかもしれません。)

ですので、礼拝に行ったらむりやり入信させられるのではないかという心配はいりません。

それどころか、何年間もキリスト教会の礼拝に通っていても、洗礼については自分から言い出さない限りはキリスト教会の方から「洗礼を受けて信徒になりませんか」などと誘ってくれたりはあまりしないかもしれません。

一度行ってみてそれっきりでも問題ないので気軽に行ける

キリスト教会の礼拝に一度参加してみて、次週も参加してみるか次週はもう行くのをやめるかは自由です。

礼拝などに行ってみたら、帰り際に「ぜひまたお越しください」などと言われるかもしれませんが、軽い気持ちで言っているだけで “ぜひぜひ必ず来週も来てください” などとプレッシャーをかけているわけではないので、気にしなくても大丈夫です。

来週も行きたいと思ったら行き、とりあえず一回行ってみただけでいいと思ったら行きません。

1.色々ある教派のうち、どの教派のキリスト教会へ行くか決める

プロテスタントのキリスト教は非常に多くの教派がある

プロテスタントのキリスト教会には様々な教派があります。

仏教なら、曹洞宗や臨済宗や真言宗や浄土真宗や天台宗や日蓮宗などの様々な宗派の寺が日本中にあります。
プロテスタントのキリスト教は日本の仏教の宗派の数よりさらに多くの教派の教会があります。日本キリスト教団のキリスト教会や、日本キリスト教会のキリスト教会や、日本バプテスト連盟に入っているキリスト教会や、その他様々な教派のプロテスタントのキリスト教会が日本中にあります。

いったいどの教派の教会へ行けば良いか判断に迷います。

キリスト教の教派を広く浅く紹介したやさしい本もあります。

【中古】よくわかるキリスト教の教派 / 徳善義和

プロテスタントのキリスト教会は無数の教派に分かれていきましたが、カトリック教会は基本的に分かれておらず、日本や世界のどこのカトリック教会でも一応一つの組織らしい、という話を聞きました。

普通のプロテスタントの教会か、キリスト教ではない教会か、判断しにくい

普通のプロテスタントのキリスト教会の教派があります。
一方でキリスト教風ではあっても中身はキリスト教というわけではない新興宗教もあります。
一見キリスト教風ではあるものの、内実は宗教団体ではないカルト団体もあります。

また、一応キリスト教会ではあるものの、キリスト教原理主義者の教会もあります。

外から見ても判断しにくいです。

キリスト教はさらに多くの種類がある

日本にはアメリカ合衆国と西ヨーロッパ諸国あたりからキリスト教が入ってきているので、日本国内で身近にあるキリスト教会の多くがカトリック教会かプロテスタント教会ですが、キリスト教はカトリックとプロテスタントに別れただけでなく、それより前に西方教会と東方教会に分かれており、西方教会からカトリック教会とプロテスタント教会とその他何種類かに分かれました。
東方教会もギリシャ正教やその他の教会に分かれていったようで、世界のキリスト教会の分布は非常に複雑です。

信頼できる人物が所属している教派の教会に行くのがおすすめ

キリスト教に興味を持った人なら、信頼できるキリスト教徒の知り合いや著名人がいる場合が多いのではないでしょうか。

例えば三浦綾子文学に共感してキリスト教に興味を持った人なら、作家の三浦綾子はある程度信頼できると思っているでしょう。

初めてキリスト教会へ行くときは、信頼できるキリスト教徒の知人や著名人が所属している教会と同じ教派の教会へ行くのがおすすめです。
自分が素性を知っている人物が所属しているキリスト教会の教派なら、おそらくカルトなどではなく普通のキリスト教の教派の可能性が高いです。

キリスト教原理主義の教会には注意が必要

プロテスタントの教会の中にはキリスト教原理主義者の教会がたくさんあります。

見た目に区別がつきにくいです。

キリスト教原理主義とは言わず、福音派と呼ぶこともあるらしいです。(以下の参考リンク先のSYNODOSの記事などにあるように、実際はキリスト教原理主義イコール福音派という単純な図式ではないようで、かなり複雑です。)

原理主義者の教会は謎の宗教団体として存在しているわけではなく、メジャーなプロテスタント教会として存在しています。

アメリカ合衆国のトランプを支持している右派に福音派のキリスト教徒が大勢いるので、福音派の名前を耳にする機会が増えました。

原理主義と言えばイスラム教原理主義が思い浮かぶかもしれませんが、キリスト教にも原理主義者は大勢います。

原理主義は大変危険なもので、キリスト教文化圏は軍事的にも経済的にも力が強い分、イスラム教原理主義よりキリスト教原理主義の方がより危険です。

その教派についてネットで調べるとなんとなく分かる

確認したいキリスト教の教派についてネットで調べてみます。

その結果、福音派の教会というような説明がある、または福音派の団体に所属しているなどの説明があるなら、その教派はキリスト教原理主義者の教会の可能性があります。

ネット情報はどこまで信頼できるかは不確かですが、ウィキペディアで「福音派」の関連のページを調べると福音派の団体や教会などの一覧のようなものが出てきます。

SNSでは調べない

ただしSNSでは絶対に情報収集しないようにしましょう。SNSはデマと差別と暴力が溢れており、社会にとって害悪となっています。
SNS内でキリスト教関連のことを検索すると、悪質なキリスト教徒たちが発信した倫理観の底が抜けたような悪意に満ちた差別と暴力とデマの投稿が溢れ出てきます。

こういったひどい状況は許容範囲を超えつつあり、様々な団体や著名人の間でも一般市民の間でも「X」のような特に犯罪ツールと化しているSNSから撤退する動きが加速しています。

ネットで何か調べるならネット検索を使う方がおすすめです。検索結果でヒットしたサイトについて信用しがたいサイトと信用できそうなサイトを判断する作業は真っ当な義務教育を受けた大人なら比較的容易です。
ただし、中学高校時代に大学進学を目的とした受験勉強や就職を目的とした職業訓練だけをさせられてしまい、まともな学問・教育を通じて主権者教育や人権教育(性教育を含む)や平和教育などを受ける機会がなかった大人なら、その判断すら困難かもしれません。

デマと差別と暴力を蔓延させない方法 教育を充実させる
小学中学高校の子どもたちにまともな質の高い教育の機会を与えれば、デマと真実を判別する能力や差別と暴力を嫌って寛容と誠実を求める精神は身に付きます。
そのために利権によって政官財の癒着が蔓延し不公平な富の分配が行われている政治を変え、企業団体献金を受け取らないなど利権のない政権に変われば富を公平に分配でき、教育に人や予算を確保できるようになり、質の高い教育をできます。
また、社会全体が、小学中学高校は学問と教育の場である、受験勉強は学問でも教育でもないと正しく知り、小学中学高校を予備校か何かと勘違いしないようにする必要があります。
自分が親や教師なら、子どもたちに対しては次のように伝えてみましょう。 “受験勉強などという学問と無関係なくだらないことにうつつを抜かしていないで学問をしなさいよあんたは。受験勉強など有害なだけで人生に何の役にも立たぬ。生徒・学生の本分は学問でしょうが。小学校中学校高校を営利目的の予備校や塾などの受験産業と混同するな。資本とは自己増殖する価値の運動体であり、よって営利企業である塾や予備校の目的も資本の増殖であり、子どもたちへの教育が目的の公立の小中高とは全く別のものである。真面目に学問をしていれば少なくともテストで赤点にはならず卒業に必要な単位は取れる。学問をせず丸暗記などのテスト勉強をして90点とって「優」を取るより、テスト勉強などせず真面目に学問だけをして35点をとって「可」で単位を取る方が人生にとって良い選択である。テストの点数は全く気にせず楽しく生き生きと学問に取り組んで問題なく卒業でき、その先の人生を歩めるから心配ない。中学高校で学問もせず主権者教育も人権教育(性教育を含む)も平和教育も受けずに受験勉強をして有名大学に入ったり高所得者になったりするのと、中学高校で受験勉強などせず真面目に学問をして主権者教育や人権教育(性教育を含む)や平和教育を受けて有名大学に入らないし高所得者にもならないのと、どちらの方が楽で欲望を満たせる人生になるかは知らぬが後者の方が良い人生を送れることは明らかである。”

2.インターネットで近くのキリスト教会を調べる

行く教派を絞ったら、その教派のキリスト教会のうち自分の家の近くにある教会をインターネットで調べます。

3.メールでキリスト教会へ問い合わせる

肝が据わっている人、コミュニケーション能力がめっぽう高い人なら、特に何も連絡なしでいきなり日曜日の礼拝に行って問題ありません。

いきなり行くのはハードルが高いと思う場合は以下の手順で事前に問い合わせてみます。すると気が楽です。

いきなりキリスト教会へ行くのはハードルが高い

神社なら、勝手に境内に入っていってお参りできます。
寺も、勝手に境内に入って参拝できる寺もたまにあります。

キリスト教会は、建物の前に案内看板があり、礼拝や各集会に「ご自由にご参加ください」と書いてある場合が多いです。

しかし、ご自由にお入りください、と書いてはあっても、はっきり言ってキリスト教会は部外者が入りやすい雰囲気ではありません。

事前にメールで問い合わせておけば行きやすい

現在は多くのキリスト教会がホームページを開設しています。

行ってみる教会が決まったら、ホームページの問い合わせフォームやメールで、「教会に行ってみたいのですがどうすれば良いでしょうか」と質問します。

そうすれば「日曜日の礼拝にいつでもお越しください」などと返事が来るでしょう。

そこで、
「では●月●日に礼拝に出席します」
というような連絡をしておきます。

行く日を告げてしまうと引っ込みがつかなくなりプレッシャーになってしまうなら、「それではそのうち都合のついた時に出席してみたいと思います」などと連絡しておきます。

ほとんどのキリスト教会の日曜日礼拝は年中無休

ほとんどのキリスト教会で日曜日の礼拝は年中行っていて、日曜礼拝が休みということはありません。たまたま12月31日や1月1日や8月15日などが日曜日の場合でも礼拝は行います。ただし年末年始やお盆なら旅行や帰省で不在の人も多いので参加者は少なめかもしれません。
牧師が所用や休暇で日曜日に不在という場合はありますが、その場合は教会員の中で説教をする資格を持っている人が説教をしたり、説教は無しにしたりして、牧師以外の教会員で礼拝を行います。

ただし、極めて少人数しか会員がいない教会などで、日曜日の礼拝を休みにする場合もあります。

多くの場合、礼拝は日曜日の午前中

多くのキリスト教会で日曜日の礼拝は午前中に行っています。開始時刻は10時15分や10時30分など教会によってまちまちです。

ただし、会員が少なく牧師のいない教会で他の教会の牧師に礼拝に来てもらうケースなどで、午後に行うような場合もあります。

キリスト教会の、障がいのある人への対応

障がいのある人への必要な対応についてもキリスト教会に事前に確認した方が良いでしょう。

キリスト教会はバリアフリーやユニバーサルデザインなどの面で必ずしも進んではいません。

点字の聖書がないキリスト教会はたくさんあります。
手話通訳の対応をしていないキリスト教会もたくさんあります。

車椅子などへの対応については、私が今まで行ったことのあるキリスト教会はどこも車椅子で礼拝堂に入って行けましたが、入って行けない古い構造の教会もあるかもしれません。

紙の聖書では読むのが困難で、電子書籍の聖書が必要な人もいるでしょう。
しかし紙の聖書しか準備していないキリスト教会も多いと思われます。

身体の状態によらず全ての人が神から招かれており、大乗仏教においても人間に限らず生きているもの全てが救済されるので、障がいの状態によらず誰でもすぐにキリスト教の礼拝に参加できるよう、今現在障がいのある教会員がいなくてもバリアフリー対応を進めておくべきでしょう。

子どもを連れて行く場合

小学生であれ幼児であれ乳飲み子であれ、キリスト教会の礼拝には子どもも参加できます。
行く予定のキリスト教会へ問い合わせたときに「子どもも連れて行って良いですか」と一応聞いておくと安心です。

子ども用の礼拝か日曜学校のようなものを大人の礼拝の前に開催している場合もあります。
大人と子どもの礼拝を分けずに一緒に行っている場合もあります。

子どもと大人で礼拝を分けている場合でも、乳飲み子などは保護者が面倒をみる必要があるため大人の礼拝に子連れで出席したりします。
子連れの人用の別部屋がある教会もあります。

子どもと大人の礼拝を分けていない場合でも、幼児なら礼拝は退屈なのでほとんど席にはおらずに周囲で遊びまわっていて、時によっては子どものおもちゃの音などで説教が聞こえないほどの教会もあります。
子どもらが近寄って来るのを弟子達が制止した時にナザレ出身の大工のイエスが弟子達をしかり、子どもらを来させて祝福したそうなので、イエスの心意気にならって子どもらが遊びまくって乳飲み子が泣きまくって騒々しくても「まあ、子どもは遊んだり泣いたりするのが仕事だから」と考えるのでしょう。

4.日曜日の礼拝に行く

予定していた日曜日になったら、教会に入っていって、受付のような場所で
「メールでご連絡した●●と申しますが」
と言います。
先方はすでに知っているはずなので、初めてでも精神的に楽に礼拝に出席できます。

礼拝に行くときの持ち物

初めてキリスト教会の礼拝に行ってみるときは何を持っていけば良いでしょうか。

会社や学校に行くときのようなカバンやバッグやリュックが一つあれば間に合います

週報など、プリントが数枚渡される可能性があるので、それを持って帰るためにバッグがあると良いでしょう。

聖書や讃美歌は教会で借りられるが、点字聖書や電子書籍聖書は用意されていない教会は多い

聖書は、自分のものがあれば持って行きます。持っていなければ教会でも借りられます。

ただし、点字の聖書や電子書籍の聖書は用意されていない教会が多いです。
紙に文字を印刷した本が利用できない人に対して非常に不親切であり、キリスト教会が抱える大きな課題です。課題だと自覚すらしていない教会も多いです。

賛美歌の本は、持っていなければ教会で借りられます。
讃美歌は「讃美歌21」という新しめの讃美歌集のようなものを使っている教会と、それ以前に広く使われていた讃美歌集のようなものを引き続き使っている教会もあり、まちまちです。

ただし、点字の讃美歌の本や電子書籍の讃美歌の本は無い可能性が高いです。
アマゾンのKindleや楽天koboや、讃美歌21を出版しているところのサイトなどを調べててみても電子版の讃美歌21は見つかりませんでした。
紙に文字を印刷した本が利用できない人に対して非常に不親切であり、キリスト教会が抱える大きな課題です。課題だと自覚すらしていない教会も多いです。

礼拝に行く時の服装

キリスト教会の礼拝はフォーマルな服装で行ってもただの普段着で行っても問題ありません。

私の経験では、性別を問わず、スーツ姿の人もいれば普段着の人もいます。

しかし初めて行く時は、周りの人が皆フォーマルな服装で自分だけ普段着だったり、自分だけフォーマルな格好で周りが皆カジュアルな服装、という状況になって浮いてしまわないか心配な人もいるかもしれません。

そこで、礼拝に初めて行く時は会社や学校に行く時と同じような服装で行ってみるのがおすすめです。
営業職をしている人ならスーツ、カジュアルな服装で工場内勤務をしている人ならカジュアルな服装、私服の学校に通っている生徒・学生なら学校に行くときの私服、制服のある学校に通っている生徒・学生なら学校の制服で行ってみます。
学校に行く時も普段着もすべてジャージの小学生ならジャージで行きます。

5.日曜日の礼拝に行き、帰るまでの流れ

受付をする

教会に入って行くと礼拝の受付があります。
受付の人に「メールでご連絡しました●●と申しますが」などと告げます。

礼拝のプログラムや連絡事項などが書かれた「週報」というプリントのようなものがある場合が多いので、受け取ります。
週報以外にも何枚かプリントをくれるかもしれません。

聖書讃美歌を持っていなければ、借ります。
受付の人が何も言ってくれなければ、「聖書と讃美歌をお借りしたいのですが」と伝えます。

献金を入れるための小さい封筒があれば、献金を払う予定があってもなくても受け取ります。
献金を入れるための小さい封筒を使っていない教会もあります。

初めて来た人専用の受付票のようなものがあるかもしれない

教会によっては、初めて来た人専用の受付票のようなものを渡されるかもしれません。
そういったものがあれば記入します。

礼拝で自分を紹介されたくないとき

キリスト教会の礼拝では初めて出席した人を紹介する場合が多いです。
礼拝の受付で、礼拝中に初めて出席された人として紹介して良いかどうか聞かれるかもしれません。
紹介されて良いなら良いと答え、紹介されたくなければ「紹介は無しでお願いします」などと答えておきます。

パンを食べてぶどうジュースを飲む儀式について確認しておく

礼拝ではたまにパンを食べてぶどうジュースを飲む「聖餐式(せいさんしき)」という儀式を行う時があります。
受付の人に「聖餐式はありますか? もしあるなら、そのとき私はどうすれば良いでしょうか?」と聞いておくことをおすすめします。
そうすれば、「今日はありません」とか、「あります。洗礼を受けた人だけ受ける式なので、あなたはそのまま座っていて頂いて結構です」などと返答があるはずです。

席に座る

礼拝出席者用の座席が並んでいるので、どこかに適当に座ります。
基本的に自由席です。
ただし、最前列などは礼拝の何かの係の人専用のようになっている場合もあるので、多少後ろの方の席の方が良いかもしれません。

礼拝が始まる

司会の人が前に出てきて礼拝が始まります。

聖書のページや讃美歌のページは「週報」に書いてある場合が多い

礼拝が始まると、司会者が聖書を読み上げたり、全員で讃美歌を歌ったりします。
礼拝出席者は該当する聖書のページを開いたり、讃美歌のページを開いて歌詞を見たりします。

いったい何ページを開けば良いのか迷って焦るかもしれませんが、たいていは「週報」にその日使用する聖書のページや讃美歌のページや番号が記載されています。

祈る

礼拝中、司会者が祈ったり、牧師が祈ったり、全員で祈ったりする場面があります。

司会者や牧師が祈るときは、礼拝出席者は黙って手を組んで目をつぶって祈ります。

ただし、ろう者の人の場合は手話通訳の手話を見る必要があるので、目はつぶらず手話を見つつ祈ります。

「主の祈り」という祈りについて

「主の祈り」という祈りを全員で声を出して祈る場合もあります。
そのときは、礼拝参加者は手を組んで目をつぶって、声を出して「主の祈り」をします。
「主の祈り」はナザレ村出身のイエスが弟子から祈り方を教えてほしいと言われた際に、このように祈りなさいと教えた祈りを基にした祈りです。
「主の祈り」は文章が決まっているので、それを読み上げる感じです。
「主の祈り」の文章は「週報」か讃美歌の本のどこかに載っている場合が多いです。

祈りの締めの言葉

いずれの場合も、祈り終わったら全員で「アーメン」と言います。
この掛け声はイエスが生まれるより前からユダヤ人の間にあり、それを基にして現在もキリスト教の祈りの最後に言う風習ができたらしいです。

新約聖書を読むと、イエスも誰かに何か重要なことを言う時「アメーン、わたしは言う」と最初に言ったりしていました。

使徒信条を読み上げる

礼拝の後半で、礼拝参加者全員で「使徒信条」というものを読み上げる場合が多いです。
「使徒信条」は「週報」か讃美歌の本のどこかに載っている場合が多いので、それを見て読み上げます。

「使徒信条」はキリスト教の教理をまとめたような文章で、自分はこのようなことを信じます、と述べる感じの内容です。

「使徒信条」の内容はイエスの死と復活の内容ばかりで、イエスが生きていた頃の活動に関することがほとんど触れられていず、現在では内容が不十分だという主張もありますが、かなり長い年月をかけて作り上げられた文章で、これを変更していくにはまた長い年月がかかると思われます。

ただし、これだけ地球環境破壊が進んでいるのに資本の暴走が止められる見込みがない現状をみると、キリスト教会が使徒信条をさらに練り直すより先に人間は滅びます。

献金のコーナーがある

礼拝中、献金のコーナーがあります。

献金を集めるための布製の黒っぽい袋のようなものなどを持った人が回って来るので、その袋に小銭や紙幣を入れます。
礼拝の受付で献金を入れるための小さい封筒をもらった場合なら、小さい封筒に硬貨や紙幣を入れてその小さい封筒ごと献金を集める袋に入れます。
教会員は月ごとの献金を入れた大きい封筒をその袋に入れたりします。

献金はするかしないかは自由

献金はするかしないか自由であり、金額も自由なので、献金をしない場合は献金係の人が回ってきても何も反応しないで座っています
そうすれば献金係の人は、この方は今日は献金をする予定はない、と察して過ぎて行きます。

教会によっては、小銭や紙幣をそのままではなく小さい封筒に入れた上で、献金係の人の袋に入れる方式のところもあります。
礼拝の受付のときに献金を入れるための小さい封筒が渡されます。

礼拝の受付で献金を入れるための小さい封筒をもらった場合で、献金をしない場合は、この小さい封筒を空のまま献金係の人の袋に入れると良いでしょう。

パンを食べてぶどうジュースを飲む「聖餐式」という儀式をする場合がある

時として、聖餐式(せいさんしき)というパンを食べてぶどうジュースを飲む儀式を礼拝中に行う場合があります。

この儀式でパンを食べてぶどうジュースを飲むのは、教会によっては洗礼を受けたキリスト教徒だけのところもあり洗礼を受けたかどうかに関わらず全員のところもあるようです。

儀式前に、洗礼を受けた人だけがぶどうジュースとパンをもらえます、という意味合いの説明を牧師がします。
ただ、遠回りな言い方をしたりして、とても判りにくい場合が多いです。

そこで、初めて礼拝に行ってみたときは、受付の人に「聖餐式はありますか? もしあるなら、そのとき私はどうすれば良いでしょうか?」と聞いておくことをおすすめします。
そうすれば、「今日はありません」とか、「あります。洗礼を受けた人だけ受ける式なので、あなたはそのまま座っていて頂いて結構です」など、返答があるはずです。

教会の事務連絡のコーナー

礼拝の最後の方で、教会からの事務連絡のようなものがあります。
その中で、場合によっては初めて教会に来た人を紹介することがあります。
「本日初めていらした方をご紹介します。●●さんです。」と言われたりするので、その場で立って会釈して座るなどします。

紹介されたくないとき

初めて教会に行くと、礼拝の受付で、礼拝中に初めて出席された人として紹介して良いかどうか聞かれるかもしれません。
紹介されて良いなら良いと答え、紹介されたくなければ「紹介は無しでお願いします」などと答えておきます。

牧師が大きな声で締めの言葉のような文句を言う

礼拝の最後に、牧師が決まり文句のような言葉を唱え、その後片手を上げて一際大きな声で決まり文句のような言葉を唱える場面があります。
その時に礼拝出席者はどのようにしているのが良いのか正式なことは分かりませんが、たいていの人は目をつむっています。

ただし、ろう者の人の場合は手話通訳の手話を見る必要があるので、目はつぶりません。

牧師が唱え終わったら、そのまま黙っている人もいれば、アーメンと言う人もおり、まちまちです。

牧師が唱え終わったら礼拝終了のピアノかオルガンの短い演奏があります。
演奏が終わったら、着席します。

最後のピアノかオルガン演奏

着席したら、礼拝を締めくくるピアノかオルガンの演奏が始まるので、黙って聴いています。

教会員によってはこの演奏中にもう帰り始めたり、雑務に取り掛かったりする人もたまにいます。

最後のピアノかオルガン演奏が終わったら、礼拝は完全に終了する教会もあります。
教会によっては、ピアノかオルガン演奏の後に改めて事務連絡のコーナーがあり、それが終わると完全に礼拝終了というところもあります。

席を立って、上着を着て、帰ります。

様々な会合などがある時もある

礼拝後、女性の会なり壮年会なり青年会なり役員会なり、ちょっとした会食なり、何かしらの会がある場合もあります。
昼食があるから食べていきませんか、と誘われたりしたら、参加するのも良いし、用事があるなら「ちょっと用事があるもので」と言って帰るのも良いし、用事はなくても対人恐怖症で会食の場が苦手なら「ちょっと用事があるもので」と言って帰るのもありです。

帰る時

礼拝が終わればただ帰ります。

出口付近で牧師が見送りをしていることも多いです。
牧師に声をかけられたら答えて、二言三言言葉を交わしたりし、帰ります。

牧師以外の誰かに声をかけられたら、答えます。

キリスト教会に行く前の予備知識

牧師がいない場合もある

たいていのキリスト教会は牧師の家というわけではありません。キリスト教会はそこに集まっている信徒達によって運営され、土地建物も信徒達が献金を出し合い所有し維持管理しています。
そのキリスト教会へ牧師を呼んで来てもらい、牧師館という牧師用の住宅に住んでもらって牧師をしてもらいます。

ですので、多くの牧師は何度か転勤しています。

牧師の有資格者もそれほど大勢いるわけではなく、教会によっては牧師がいない状態で牧師探し中の教会もあります。

キリスト教会に落胆せずまた行く気になるような予備知識

キリスト教会に行く前にちょっとした予備知識を得ておくことをおすすめします。
そうしなければ、期待してキリスト教会へ行っても想像していたものと違い、落胆して帰ってくることになるかもしれません。

愛のある牧師もいれば愛がなくエリート意識向き出しの牧師もいる、教会員は平和を愛する人もいれば戦争や暴力を肯定する者もいる、聖書には良いことも書いてあれば気分を害する凶暴なことも書かれており、聖書は書いてあることをそのまま信じ込むべき書物ではない、読み方をよく考える必要がある、などの予備知識を得ておきます。

多少の予備知識をつけておけば、落胆せず次回以降も礼拝に行ってみようと思えます。

筆者
わたし

差別や暴力が渦巻き、弱い者や不器用な者や真面目にやろうとする者を嘲り笑い、利他的な行動を偽善呼ばわりし、「老害」「シルバー民主主義」などの悪意の言葉が流行し虚構の世代間対立を煽る言説を真に受ける者は多い一方で、教育を放棄し予備校化した学校教育の影響で、実在する階級対立を認識できる者は少数しかいない今の日本社会と、差別や憎悪犯罪の温床と化したインターネットの世界と、法律に従ったフィルタリング設定をせず保護者からスマホを与えられた子ども達がネットを通じ性犯罪被害にあったり殺されたりしている現状に恐れを抱き、今日も怯えながら暮らしています・・・

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キリスト教
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