神はなぜ私たちを殺しに来るのか

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ヘブライ語聖書(旧約聖書)を読むと、神が人々を殺す話が出てきます。
社会の底辺で苦労して生きている人々を殺さないでくれ、と神に伝えましょう。

ヘブライ語聖書(旧約聖書)で神に殺された人々

ヘブライ語聖書(旧約聖書)の中で神は様々なことをイスラエル民族に言いつけます。
神は唯一自分だけであり、自分以外のものを神として崇拝するなとか、安息日は仕事をするなとか、決められた時期に過越祭や除酵祭などの祭りをしろとか、カナンの地に入ったら住人と家畜を全て滅ぼし尽くせとか、その他細かいことを含めるともっと多くの命令のようなことを言っています。

そのような言いつけを守らなかったという理由で神は何万人もの人間を殺しています。
ヘブライ語聖書(旧約聖書)の創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、ヨシュア記、だけを読んでみても数字が載っているものだけでも何万人も神に殺されています。
神に直接殺された人だけでも数万人いる他に、カナンに入って行ったときに神がカナンに住んでいる人を殺し尽くせと命令して、命令に従ったイスラエル民族が実際に殺戮する場面が多数あり、そのように神に間接的に殺された人を含めると何十万人も殺されています。

創世記からヨシュア記だけでもそのような状況で、この他ヘブライ語聖書(旧約聖書)は何十も文書が収録されているのでそれらの内容を含めたらさらに多くの人が神に殺されていると思われます。

このようなものを読んでいると、神のイメージは大鎌を持って人間を滅亡させに来る死神のようなイメージになります。

全部史実というわけではない

ヘブライ語聖書(旧約聖書)は古代人が様々な場面で様々な理由があって書いた文書を集めたもので、実際の歴史の記録というわけではありません。
神が人々を殺したと書いてあるからと言って実際に殺されたわけではないかもしれません。
そもそも神というものは居たり居なかったりする概念のものではなく、神に直接殺されるということはありません。

しかし古代人が他の古代人を殺戮している内容については実際の話も絡んでいるかもしれません。

ノアの方舟の話の例では、ヘブライ語聖書(旧約聖書)が書かれたような地域でも他の地域でも大河が氾濫して見渡す限り水浸しになるということは繰り返し起こっており、ヘブライ語聖書(旧約聖書)に限らず他の文書にも洪水関連の話は載っているそうで、ノアの方舟の話はそのような大洪水の様子を元にして書かれた話の一つだそうです。

殺さないでくれ、と神に伝えましょう

ヘブライ語聖書(旧約聖書)のどの部分が伝説や神話で、どの部分が史実が多少含まれていて、どの部分が権力者がまとめた規則なのか、よく分かりませんが少なくとも神が人々を殺した話が載っています。

人々の尊厳を踏み躙って富を分取って暮らしている支配階級の人が神に殺されるくらいなら多少は許容できる感じがしますが、社会の底辺で富も分取られ尊厳も踏み躙られながら生きている人々を殺すのは悪いことです。
社会の底辺で苦労して生きている人々を殺すのはやめてくれ、と神に苦情を伝えましょう。

ただし、ヘブライ語聖書(旧約聖書)を読む限り、私たちが神に「社会の底辺で苦労して生きている人々を殺すのはやめてくれ」と苦情を伝えると神に反抗したという理由で神に殺される可能性が高いです。この堂々巡りで最終的に恐怖しか残りません。

キリスト教徒たちはどのように理解しているのか

キリスト教徒たちはそのような神が人々を殺している話や殺せと命令している話をどのように理解しているのでしょうか。

多くのキリスト教徒は理解の難しい聖書の箇所、受け入れ難い凶悪なことが書いてある箇所は適当に流しておいて、理解しやすい場面を選んで取り上げて暮らしているように見えます。

聖書の中で理解の難しい聖書の箇所、受け入れ難い凶悪なことが書いている箇所をキリスト教徒としてどのように受け止めるのが正しいのかについては、それを知っているキリスト教徒はめったにいないため自分で本を探して読んで調べるしかありません。

現代の倫理観の土台の上で信仰について考えていくしかない

少なくとも古代人が古代の社会で書いた宗教の教典に書いてあることより現代の人間の倫理観の方が上です。
現代の倫理観で正しいことと正しくないことを判断し、その土台の上で古代人が古代の社会で書いたヘブライ語聖書(旧約聖書)・新約聖書などの教典に書いてあることをどう理解するか考えます。

そのようにして考えたり瞑想したりし、般若か阿耨多羅三藐三菩提など難しくて詳しくは分かりませんが釈尊が言っていた無分別の智や、親鸞聖人が信頼をおいていたものや、ナザレ村出身のイエスが全幅の信頼をおいていた天の父ちゃんについてだんだんと知っていくしかありません。

参考

聖書 聖書協会共同訳 小型 SI44

聖書 聖書協会共同訳 小型 SI44

キリスト教
筆者
わたし

差別や暴力が渦巻き、弱い者や不器用な者や真面目にやろうとする者を嘲り笑い、利他的な行動を偽善呼ばわりし、「老害」「シルバー民主主義」などの悪意の言葉が流行し虚構の世代間対立を煽る言説を信じてしまう人は多い一方で、実在する階級対立を認識できている人は少数しかいない今の日本社会と、差別や憎悪犯罪の温床と化したインターネットの世界に恐れを抱き、今日も怯えながら暮らしています・・・

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