消化器系の弱い人の場合、キリスト教会の礼拝中にトイレに行きたくなるのが心配です。
礼拝中にトイレに行きたくなった時の対処法を考えてみましょう。
礼拝中はトイレに行くために退出できる
私がプロテスタントのキリスト教会の礼拝に出席している経験では、礼拝中でもトイレに行きたくなったら退出してトイレに行けます。
そっと席を立ち、トイレに行って、また普通に席に戻ります。
大学の講義なら、トイレに行きたくなれば黙って出て行ってトイレに行って、また黙って講義室に戻ってきて普通に講義を聴きます。
それと同じような感じです。
キリスト教会のトイレはどのくらいの大きさか
キリスト教会は教会員が100人以上いる大きいところもあれば、数十人で運営している小さいところまで様々です。
教会員が多ければある程度大きな礼拝堂が必要で、また財政も余裕があるので、教会の建物も大きくトイレも学校や会社のトイレのようなある程度大きめのものがあったりします。
教会員が少ない小さい教会なら教会の建物も小さくトイレも小さく、便器が1つか2つという小さいトイレしかないところもあります。
長椅子の場合、席を外しやすい端の席に座る
礼拝堂の椅子は長椅子タイプの場合が多いかもしれません。
長椅子の場合、中の方に座っているとトイレに行くために席を立つ時、ちょっと出にくいです。
そこで、長椅子の場合はできるだけ長椅子の端に座るようにします。
そうすれば席を立ちやすくて楽にトイレに行けます。
特急や新幹線でトイレに行きやすいよう通路側の席に座るのと同じです。
早く教会に来てしまうと、たとえ端に座っても後からどんどん人が来て中に詰めていかなければなりません。
そこで、あまり早く行かないようにするなどして、できるだけ端の席に座れるよう作戦を考えましょう。
受付の人なり、誰かに端の席に座らせてくれるよう頼む
少し礼拝に行きなれてきたら、礼拝の受付の人などに「腹が弱くて途中でトイレに行きたくなるかもしれないので、トイレにいきやすいよう端の席に座りたいのですが」と言ってみるのもよいでしょう。
礼拝堂の椅子は長椅子とは限らない
礼拝堂の椅子は長椅子とは限りません。
一人がけの椅子の教会もあります。その場合はどこに座ってもトイレに立ちやすいので心配いりません。
朝食をとらないという方法
朝食をとると腹が下る体質の人もいます。
そこで朝食を抜くのも効果的な方法です。
しかし、食事を抜くのは健康上はあまり良い方法とは思えないので、礼拝中にトイレに行ってもよいのでできるだけ朝食はとった方が良いでしょう。
礼拝中トイレに行きにくい注意するべきシチュエーション
献金を集める係になったとき
教会員になると、ローテーションで献金を集める係をするかもしれません。
献金を集める係の日は、礼拝中に献金のコーナーが来たら献金を入れる黒い袋などを持って歩き回って礼拝出席者から献金を受け取って、献金を捧げるにあたっての祈りをしたりします。
もし自分が献金の係の日に、献金コーナーのときにトイレに行っていて席にいなかったら「献金係はいったいどこへ行ったのだ?」という状況になり、礼拝がしばし止まります。
献金係を外してもらえるよう頼んでみる
礼拝を運営している係や長老や牧師などに相談して「私は腹が弱くて、献金のコーナーで確実に礼拝堂にいるためには朝食を抜くしかありません。それでは健康に悪いので、献金係を外してもらえませんか。」と頼んでみると良いでしょう。
まともな感覚を持っていれば、健康と礼拝なら健康の方が重要なので、献金係は免除される可能性が高いです。
「あんただけ特別扱いはできない。朝食を抜いてくれば良かろう」
と言われたら、
「礼拝より健康の方が大事でしょうが。何を言うとるんだあなたは。人が安息日のためにあるのではない、安息日が人のためにあるのだ、とイエス老師は言っていたものだ。」
と異議申し立てをしてみましょう。
人が安息日のためにあるのではなく、安息日が人のためにあるのだ、というようなことをナザレ村出身の大工のイエスも言っていました。
本末転倒の思考に陥るな、ということです。
執事などの係になったとき
プロテスタント教会の場合、執事や長老などの役職が設けられている教派もあります。
教会員になり、事務作業などをこなす能力があり家族の介護などもしていなければ執事に選ばれる可能性は高いです。
執事になってしまうと、礼拝中は色々作業が発生します。
受付の係になるかもしれません。
献金の係も、ただのローテーションで係の順番がくるだけでなく、執事が何人かの献金係の人の取りまとめ役のような感じになり、普通の教会員より高い頻度で献金係をせざるをえなくなるかもしれません。
そのように非常に礼拝中にトイレに行きにくい状況になります。
そこで、執事の会議で「私は腹が弱いので、献金のときにトイレに行きたくならないよう朝食を抜くしかありません。食事を抜くのは健康に悪いので献金係の仕事は免除してもらえませんか」と頼んでみます。
何か柔軟な対応がとられれば元気に教会に通えます。
「私ら執事はみんな忙しい中でやっているんだからあんただけ免除できるわけないでしょうが。ふざけんじゃないよあんたは」と言われ、交渉決裂やまともな議論にもならないような状況になるなら、教会を離れるのもありでしょう。
人が安息日のためにあるのではなく、安息日が人のためにあるのだ、というようなことをナザレ村出身の大工のイエス老師も言っていました。本末転倒の思考に陥るな、ということです。
ちなみに「老師」は中国語では年齢に関係なく単に日本語の「先生」や「教師」などに相当する言葉らしいです。
参考