生きにくいのは社会のせいで、社会に問題があるのは自分のせい

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毎日非常に行きにくいです。
仕事は忙しく、金もなく、人のつながりもなく、つらい日々です。

私に限らず、人生がうまくいかないのは社会のせい、という面は大きいです。

社会のせいだ、と言うと、自分が悪いのに周りのせいにしている、と思う人もいます。

実は、社会のせいだ、と言うのは、周りのせいにしている態度ではなく自分のせいにしている態度です。

日本は主権在民なので私たち人民が主権者です。
今の社会は王様が作ったわけではありません。私たち主権者が選挙や請願、その他諸々の手段で政治参加し、今の社会を作ってきました。
今の日本の社会が良くないなら原因はその社会を作った主権者の自分です。

自分は軍産共同体や政官財の癒着や利権の構造に関係して不正に私腹を肥やしたりしていない、だから悪い社会を作ったと言われても困る、と言う人もいます。
その通りで直接悪い社会を作っていないかもしれませんが、軍産共同体や政官財の癒着や利権の構造が暴走して悪いことをしているのをやめさせられていないという面で主権者としての責任はあります。
社会運動や政治運動をもっと強めて、政官財の癒着をなくそうと言っている政治勢力が議会で多数を占めたりしていれば、癒着などの悪いことは一掃してもっと良い社会になっていました。

そのような感じで直接悪事をはたらいていなくても日本の主権者なら日本の社会がおかしくなっていることの間接的な責任はあります。

人生がうまくいかない、これは社会のせいだ、だから社会が変わらなければならない。社会を作ったのは主権者の自分で、今後の社会を作るのも主権者の自分なので、自分が社会を変えなければならない。

ということで、社会のせいだ、と言っている人は自分に厳しい人です。

具体的には社会運動や政治運動をする

社会が悪い、社会が変わらにゃ俺の暮らしもよくならない、と言います。
社会が悪いなら、社会を作った主権者の自分が悪い、ということになります。

何が悪かったのか。賄賂を受け取ったり差別発言をするなどあからさまに悪いことをしている人や政治勢力を応援したなら直接悪いですが、そういう人を応援していないなら、自分の社会運動や政治運動が足りていないということになります。

社会を変えるために今までより社会運動や政治運動に力を入れる必要が出てきます。

このようなわけで、全て社会のせいだ、と言う態度は自分がうまくいかないのを周囲のせいにしている責任逃れの態度ではなく、俺の社会運動や政治運動が足りなかったのが原因だ、今日から今まで以上に社会運動や政治運動に力を入れにゃならん、と決意している自分に厳しい態度です。

筆者
わたし

差別や暴力が渦巻き、弱い者や不器用な者や真面目にやろうとする者を嘲り笑い、利他的な行動を偽善呼ばわりし、「老害」「シルバー民主主義」などの悪意の言葉が流行し虚構の世代間対立を煽る言説を真に受ける者は多い一方で、教育を放棄し予備校化した学校教育の影響で、実在する階級対立を認識できる者は少数しかいない今の日本社会と、差別や憎悪犯罪の温床と化したインターネットの世界と、法律に従ったフィルタリング設定をせず保護者からスマホを与えられた子ども達がネットを通じ性犯罪被害にあったり殺されたりしている現状に恐れを抱き、今日も怯えながら暮らしています・・・

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